はじめに
「評価制度をつくったのに、社員から不満が出る」「制度はあるのに、なぜか現場で機能しない」「昇格・昇給の説明を求められると、うまく答えられない」――こうした悩みを抱える経営者・人事担当者の方は、決して少なくありません。
これらの課題に共通しているのは、制度の設計や運用の問題ではなく、その手前にある「なぜこの制度なのか」という根拠が言語化されていないことにあります。制度だけをいくら整えても、その土台となる考え方が定まっていなければ、社員の納得感は生まれません。そして納得感のない制度は、やがて形骸化していきます。
本シリーズでは、人事制度を正しく機能させるための5つの柱――人事ポリシー・等級基準・評価制度・賃金制度・教育制度――を、構築すべき順番に沿って一つずつ丁寧に解説していきます。
第1回となる今回は、すべての制度の根拠となる「人事ポリシー」について掘り下げます。人事ポリシーとは何か、なぜ最初に整えるべきなのか、そしてこれがないと組織にどんな問題が起きるのか。実際の支援現場での事例も交えながら、わかりやすくお伝えします。
人事ポリシーとは何か?
人事制度を構成する要素の一つ、でも他とは性質が異なる
人事ポリシーは、等級基準・評価制度・賃金制度・教育制度と並ぶ、人事制度を構成する要素のひとつです。ただし、他の制度と根本的に性質が異なります。
等級基準・評価制度・賃金制度・教育制度は、いずれも「仕組み」や「ルール」として機能するものです。一方で人事ポリシーは、それらすべての制度の根拠となる「会社が社員に求める姿勢・価値観・考え方・行動を言語化したもの」です。
端的に言えば、人事ポリシーとは「この会社では、社員にこうあってほしい」という会社の人に対する考え方を言葉にしたものです。
経営理念を”人事”に落とし込んだもの
人事ポリシーは、経営理念や経営方針をもとに策定することが理想ですが、必ずしもそれらが整っていなければつくれないものではありません。「この会社はどんな人材に活躍してほしいのか」「社員にどんな姿勢・行動を求めるか」「どんな組織を目指したいか」という問いに向き合うことから始めることができます。ただし、経営理念(ミッション・ビジョン・バリュー)が定まっている場合は、それを人事の観点に落とし込む形で策定すると、より一貫性のある人事ポリシーになります。
つまり、「この経営理念を実現するために、どんな人材が必要で、社員にどのような姿勢・行動を求めるのか」を明文化したものが人事ポリシーです。経営理念と人事制度をつなぐ橋渡し役とも言えます。
人事ポリシーには4つの種類がある
人事ポリシーに書かれる内容は、大きく4つの種類に分けられます。
① 経営方針の言語化 採用・育成・配置・評価・報酬をどのように行うのかという、人事に関する具体的な方針を示すものです。「会社が社員に何を行うのか」を言語化します。
② 求める人材の定義 会社がどのような人材を求めているかを示すものです。「高い専門性を持つ人材」「高い倫理観を持つ人材」など、採用におけるペルソナに近いイメージで、会社が欲しい人材の特徴を言語化します。
③ 人や組織への価値観 人材や人事に対する会社の価値観・哲学を示すものです。「会社がどのような人であってほしいか」を表現する内容であり、経営理念や社訓として組み込まれているケースもあります。この③は、後述する等級基準に直接繋がる種類です。
④ 社員に期待する行動 社員の持つべき心構えや、なすべき行動を示すものです。②の要件型をより具体的に表現したもので、求職者だけでなく現場の社員にまで行動の規範を示します。この④も、③と同様に等級基準の内容に直結します。
特に③と④は、「この会社ではどういう行動・姿勢を持った人材を求めるのか」という問いに答えるものであり、等級基準を設計する際の根拠そのものになります。この点については次のセクションで詳しく説明します。
社員の「なぜ?」を突き詰めると、人事ポリシーにたどり着く
社員が制度に感じる「なぜ?」
人事制度が導入されると、社員からさまざまな「なぜ?」という疑問が生まれます。
「なぜ、私の給与はこの金額なのか」「なぜ、同じ職種でも評価シートの内容が違うのか」「なぜ、同じ成果を出しても評価が違うことがあるのか」「なぜ、昇格できなかったのか」――これらは、多くの会社で社員が抱く典型的な疑問です。
これらの疑問に対して、会社はきちんと説明できなければなりません。説明できなければ、社員は「なんとなく決まっている」「上の人の好き嫌いで決まっている」と感じ、制度への不信感が生まれてしまいます。
「なぜ?」を突き詰めると等級基準にたどり着く
では、これらの「なぜ?」にはどう答えるべきか。実は、ほとんどの疑問は「等級基準」を参照することで答えることができます。
「なぜ給与が違うのか」→ 等級が違うから。等級は担っている役割・責任・能力の水準を示しているから。「なぜ評価シートが違うのか」→ 等級ごとに求められる役割と能力の水準が異なるから。「なぜ同じ成果でも評価が違うのか」→ 評価は成果の大きさだけでなく、その成果がその等級に期待されている水準に対してどうかで判断されるから。
このように、社員の「なぜ?」を突き詰めていくと、多くの場合「等級基準」にたどり着きます。等級基準こそが、人事制度全体の中心軸であり、評価・給与・育成すべての根拠になっているのです。(等級基準の詳細については、本シリーズ第2回で詳しく解説します。)
さらに「なぜこの等級基準なのか?」を突き詰めると人事ポリシーにたどり着く
しかし、疑問はそこで終わりません。「なぜこの等級基準になっているのか?」という問いが生まれます。なぜ、うちの会社ではこの項目が評価されるのか。なぜ、この等級ではこの行動が求められるのか。
この問いに答えるのが、人事ポリシーです。
「この会社では、こういう姿勢・価値観・行動を持った人材を求めている。だから、等級基準にはその考え方が反映されている」――これが言えて初めて、社員は「なるほど、この会社はそういう考え方なのか」と腹落ちすることができます。
つまり、人事ポリシーとは「社員の”なぜ?”が等級基準を超えてさらに深く問われたとき、最終的に立ち返るべき根拠」なのです。人事ポリシーがあることで、等級基準・評価制度・賃金制度のすべてに「この会社の考え方がそうだから」という一貫した説明ができるようになります。
人事ポリシーは「判断の柱」になる
人事ポリシーが策定されていると、制度の運用場面で迷ったときにも一本の柱として機能します。「この判断は、我が社の人事ポリシーに照らして適切か?」という問いを立てられるようになるからです。
人事施策に対して全員が納得することは、現実的には難しいです。ある場面では不利益を感じる社員も出てくるでしょう。しかし、「それは人事ポリシーに基づいた判断であり、別の場面では自分にとっても有利に働く可能性がある」と説明できれば、社員は不満を持ちながらも一定の理解を示すことができます。
人事ポリシーがない状態では、この説明ができません。その結果、「なんとなくそう決まった」「上の判断だから仕方ない」という空気が組織に広がり、制度への信頼が失われていきます。
人事ポリシーがないと何が起きるのか?
制度全体が「個別最適の寄せ集め」になる
人事ポリシーがない状態で制度を整えようとすると、往々にして「個別の課題を解決するために、その都度施策を追加していく」という動きになります。
評価への不満が出れば評価制度を見直し、採用がうまくいかなければ採用手法を変え、離職が増えれば待遇を改善する。一つひとつの施策は課題に対して合理的に見えますが、全体を俯瞰すると「軸のない寄せ集め」になっている状態です。
これが繰り返されると、ある施策が別の施策と矛盾を起こしたり、解決したはずの課題が別の形で再発したりします。人事ポリシーという「全体を貫く軸」がないと、個別最適の積み重ねが組織全体の歪みを生んでしまうのです。
社員が「何を大切にすればいいかわからない」状態になる
人事ポリシーがないということは、「この会社では何が評価されるのか」「どんな人材であることが求められるのか」が明確でないということでもあります。
社員の立場からすると、何を大切にして働けばいいかの指針がない状態です。一生懸命働いていても「本当にこの方向性で合っているのか」という不安を抱えながら仕事をすることになります。特に、成長意欲の高い社員や優秀な人材ほど、この曖昧さに違和感を覚え、離職につながるケースが少なくありません。
制度を見直すたびに場当たり的な改定を繰り返す
人事ポリシーがないまま制度を運用していると、制度の見直し時にも判断の軸がありません。「他社はこうしているから」「社員からこういう声が上がったから」という理由だけで制度を変えていくと、社員からは「また変わった」「一貫性がない」と受け取られ、制度そのものへの不信感が蓄積されます。
人事制度は、つくって終わりではなく運用し続けるものです。時間をかけてチューニングしていくプロセスの中でも、「なぜこの方向に見直すのか」を説明できる根拠が必要です。その根拠となるのが人事ポリシーです。
人事制度を見直すときは「枝葉」から手をつける
人事ポリシーがすべての起点である、ということは、制度を見直す・改定する際の順番にも大きく影響します。
人事制度には「土台」と「枝葉」があります。人事ポリシーが最も土台にあり、そこから等級基準、評価制度、賃金制度、教育制度へと枝葉に向かって繋がっています。制度の見直しが必要になったとき、実際に手をつけるのは賃金制度や評価制度といった枝葉の要素からが基本です。
なぜなら、土台にある人事ポリシーや等級基準は、枝葉のすべての制度の根拠になっているからです。人事ポリシーに手を加えるということは、それに紐づく等級基準・評価制度・賃金制度・教育制度のすべてに影響が及ぶことを意味します。つまり、人事ポリシーを変えるということは、制度全体を作り直すことと同義に近いのです。それほどの影響力を持つため、人事ポリシーはよほどの経営上の変化――事業の大幅な転換や、組織の根本的な方向性の変化――がない限り、触らないことが原則です。
等級基準についても同様です。等級基準は人事ポリシーの考え方を具体的な基準として落とし込んだものであるため、頻繁に変更することは好ましくありません。等級基準が変わるたびに「何を目指せばいいのかわからない」という混乱を社員に与えてしまうからです。
一方、評価制度や賃金制度は、組織の成長や現場の実態に合わせて定期的にチューニングしていくものです。「評価項目がいまの業務実態と合っていない」「手当や初任給を見直したい」といった課題は、枝葉の制度を調整することで対応します。
この「土台は触らず、枝葉から見直す」という原則を持てるのも、人事ポリシーという揺るぎない起点があるからこそです。起点が定まっているからこそ、枝葉の制度を安心して柔軟に調整できる。人事ポリシーが最初に整えるべき理由は、ここにもあります。
支援現場から見えた:人事ポリシーで変わった会社の実例
事例A
ある会社では、若手や中堅層が育ってきた時期に、役割や報酬に対する不満が表面化し始めていました。現場では評価の基準が曖昧で、昇格や昇給が上司の主観で決まっているという不透明な運用が長年続いていたのです。
経営層も「属人的な感覚で処遇を決めていては、組織が大きくなったときに支障が出る」という危機感を持っていました。しかし、どこから手をつければいいかが分からない状態でした。
支援では、まず経営層との対話を重ね、「人材に対する考え方」や「役割分担の見直し」を踏まえて人事ポリシーを言語化するところから始めました。この会社が社員に何を求め、どんな人材を育てたいのか。その考え方を言葉にすることで、続く等級制度・評価制度・賃金制度の設計が一貫した方向性を持つことができました。
支援後、この会社では「等級・評価・処遇の関係性が明確になり、納得感が生まれた」「目指すキャリア像が共有され、社員の成長意欲が高まった」という変化が生まれました。制度の根拠が言語化されたことで、社員が「なぜこうなっているのか」を理解できるようになったのです。経営担当者の言葉が印象的でした。「制度の仕組みを整えるというのは、単にルールを決めることではなく、会社の価値観を可視化して社員と共有するプロセスだったのだと実感しました」。
事例B
別の会社では、社員数が年々増加する中で、従来の「目標管理だけで評価を行う運用」に限界が生じていました。この会社では「目標管理=人事評価」と誤解しており、等級も評価基準もない状態で評価が属人化。現場からは「頑張っても報われない」「不公平」という声が上がり続けていました。
支援では、まず「何を評価し、何に報いるのか」を明文化した人事ポリシーの策定から着手しました。人事ポリシーがあることで、「なぜ目標管理だけでは人事評価として不十分なのか」「なぜ等級基準が必要なのか」という問いに対して、一貫した答えが出せるようになりました。
支援後、この会社では等級制度・評価制度・賃金制度がそれぞれ連携し合い、機能する人事評価制度が構築されました。担当者は「経営理念に基づく人事ポリシーからスタートし、各制度がしっかりと連携して機能するようになったことで、これまで感じていた課題を解決することができました」と振り返っています。
2つの事例に共通すること
この2つの事例に共通しているのは、「人事ポリシーを策定したことで、続くすべての制度に一貫した根拠が生まれた」という点です。制度への不満や形骸化の根本原因は、制度そのものの精度ではなく、「なぜこの制度なのか」という根拠の欠如にありました。人事ポリシーという土台があって初めて、等級・評価・賃金・教育の各制度が有機的に連携し、社員の納得感とともに機能するようになるのです。
人事ポリシーを策定するために、最初にやること
人事ポリシーの重要性はわかった。では、実際にどこから始めればいいのか。ここでは、策定に向けた4つのステップをお伝えします。大切なのは、完璧なものを最初から目指さないことです。まずは「一本の柱を立てる」というイメージで取り組んでください。
Step1:経営層が「人に対する考え方」を言語化する 人事ポリシーは、経営者・経営層の「人材に対する考え方」から生まれます。まず経営層が「どんな人材に自社で活躍してほしいか」「社員にどんな姿勢・行動を求めるか」「どんな組織を目指したいか」を言葉にする対話から始めます。正解を探すのではなく、自分たちの本音を引き出すことが大切です。
Step2:好感・嫌悪キーワードから自社の価値観を整理する 価値観を言語化するひとつの方法として、「好感を持てるワード」と「嫌悪を感じるワード」を書き出す方法があります。例えば「自律・自発・主体性」に好感を持つのか、それとも「チームワーク・協調・支え合い」を重視するのか。「根気・粘り強さ・諦めない姿勢」を求めるのか、「合理的・スピード・効率」を大切にするのか。こうしたキーワードの取捨選択を通じて、自社が社員に求める姿勢・価値観の輪郭が見えてきます。
Step3:人事評価制度における人事ポリシーを策定する 人事評価制度における人事ポリシーは、「③人や組織への価値観」と「④社員に期待する行動」の両方を掛け合わせた内容として策定します。会社がどんな価値観を大切にしているのか、そしてその価値観のもとで社員にどんな行動・姿勢をとってほしいのか。この2つが揃うことで、等級基準の設計に直接活かせる人事ポリシーになります。表現は抽象的なものでも構いません。なぜなら、人事ポリシーで示した価値観や求める行動は、続く等級基準において具体的な役割・責任・能力・行動として定義されるからです。大切なのは「この会社らしさ」が伝わる言葉で、会社の考え方をしっかりと言語化することです。
Step4:一本の”判断の柱”として全社で共有する 策定した人事ポリシーは、経営層だけが知っているものであってはなりません。制度の根拠として機能させるためには、全社員が共通認識として持てるよう、わかりやすく共有する必要があります。制度説明会や評価者研修などの場を活用して、「なぜこのポリシーなのか」「これがどう制度に反映されているのか」を繰り返し伝え続けることが重要です。
まとめ・次回予告
人事ポリシーは、人事制度を構成する要素のひとつでありながら、他の制度とは根本的に性質が異なります。それは「仕組み」ではなく、「会社が社員に求める姿勢・価値観・考え方・行動を言語化したもの」であり、等級基準・評価制度・賃金制度すべての「なぜ?」に答える最終的な根拠です。
社員が制度に疑問を感じたとき、その問いを突き詰めていくと等級基準にたどり着きます。そしてさらに「なぜこの等級基準なのか?」と問われたとき、答えられるのは人事ポリシーだけです。この連鎖が成り立つからこそ、人事ポリシーはすべての起点でなければならないのです。
人事ポリシーという土台があって初めて、制度全体に一貫性と納得感が生まれます。逆に言えば、人事ポリシーなき制度は根拠のない制度であり、いくら精度を高めても社員の納得感は得られません。制度をつくる前に、あるいは今ある制度を見直す前に、まずは「この会社は社員に何を求めるのか」を言語化することから始めてみてください。
次回予告|第2回:等級基準の重要性
次回は、人事制度の中心軸である「等級基準」について詳しく解説します。なぜ等級基準が評価・給与・育成すべての軸になるのか。等級基準がないと何が起きるのか。そして、どのように設計すれば機能する等級基準になるのか。人事ポリシーとの繋がりも踏まえながら、丁寧にお伝えします。